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人を変えるのは人…でも人を変えようだなんて思わない

2018/09/07 9:28

はい、俺です。

俺は今まで何度か「切り捨て型の人間だな」と言われた事があります。

 

まるで俺が冷酷な人間かのような言い方に戸惑いを隠せないんですが

確かに自分でもそれは分かる気がする。

でも別に冷たいとか冷めてるとかじゃなくて

それなりの理由がある訳ですよ。

 

 

では何で俺がそうなったのか、その経緯を掘り下げて見てみましょう。

 

 

 

そもそも人に対して何も求めてないんです

 

そう、ハナっから相手に対して何も求めてません。

 

でもここで間違ってはいけないのは

「期待してない」のと「求めてない」ってのはちょっと違うんです。

 

周囲の人に対して期待はしてます。

「この問題を乗り越えてくれたらいいなぁ」とか

「人として成長してくれたらいいなぁ」とか

「もっと分かり合えたらいいなぁ」とか

そういう"期待"は持ってます。

もちろん別に上から目線でものを言ってる訳ではないですよ。

「一緒に頑張って行きましょう」的なニュアンスとして期待を込めてます。

 

でもね

「あぁしてほしい」「こうしてほしい」なんて求めたらダメなんです。

 

なぜか?

 

まず俺が自由にやりたいようにやりたいタイプだから。

指図されてやったって面白くも何ともない。

だったら相手にも求めちゃダメでしょう。

別に相手に対しての「諦め」ではないんです。

自分だってそんな大した人間じゃないんだから。

 

それにね、あぁしろこうしろって言って、その人の事を変えてしまうんだったら

別に誰でもええやんってなる訳ですよ。

その人の個人の持ち味であったり、個性であったりを変えてしまおうだなんて思ったらダメなんです。

 

それに「変わりたい」って思ってる人や、「興味あるからやってみよう」とか思ってるタイプの人なら

別に誰も何も指図しなくても勝手に興味持って勝手に行動に出してる。

自分から変わろうとしてる訳です。

それってつまりは成長ですよね。良くも悪くも。

それでいいじゃないか。

 

 

人を変えるのは人

 

 

そう、良くも悪くも人を変えるのは結局人なんですよね。

みんな誰かしらの背中を見て生きてます。

誰かに肩車して遠くを見ています。

 

だから「あぁしろこうしろ、頑張れ、成長しろ、もっと考えろ、もっと動け」って言わなくても

人って勝手に変わって行きます。気持ち次第で。

で、じゃぁ後はその外側にいる自分に何が出来るのかって事を考えてみましょう。

 

その「気持ちの部分」を動かすきっかけを与えてあげればいいんじゃないだろうか。

 

自分が子供の頃からそうだったように、ヒーローに憧れて正義感ってものを持ったり

アーティストに憧れて文学に興味を持ったり

カッコイイ大人に憧れ、尊敬し、その背中を追って成長する。

そんな過程を築けていけるような環境を作って、見守って行けたらそれでいいのではないか。

 

単純にそう思う訳ですよ。

 

 

人間関係とはギブ&テイクで成り立っている

 

人に対して何も求めてないんですが

何の見返りもなければ結局は離れてしまいます。

それが人間なんです。

 

結局、自分だけがしんどいなぁと感じたら

いつかはその関係は壊れてしまうでしょう。

あるいは自分のワガママで相手にしんどい思いをさせ続ければ

だんだんと相手の気持ちも薄れ、疎遠になっていくものでしょう。

そういう経験ってありませんか?

 

そう考えると人間関係というものはお互いのバランスが保てなくなった時点で終わるんです。

 

つまり、お互いどこかにメリットを感じ続ける事が出来なければ、ちょっとしんどくなってくんです。

 

相手をうまく利用して、自分だけが得をする。

そんな付き合い方をしてる人はどんどん周りが離れて行くだけです。

独りぼっちになるまで気づけません。

 

逆に利用される側だって、「あれ?何かおかしいな」と途中で気付く時がきます。

で、だんだんとしんどくなってく訳です。

これちょっと距離置いた方がええんかな?って。

 

だからです。

だからこそ、最初から相手に求めないのが一番。

勝手に求めて、勝手に自分の都合のいいように理想像を創り上げ、勝手に見返りを求める。

だからガッカリするのです。

 

それに、人間は「合う」「合わない」ではありません。

“合わせる気”が「ある」か「ない」かです。

合わせる気がない相手に無理に合わせる必要もありません。

合わせる気がある者同士なら自然と歩み寄り合ったり、根気よく分かり合えるものです。

「口論」ではなく「話し合い」が出来るはずです。

相手に対して敬意を払ってるかどうかの違いです。

 

「自分が自分が」っていうオラオラなタイプの人間は

自分がそういう"オラオラな人"だという事に気付けてません。

ただ何となく今までそれでやってこれたので変に自信があったり、それが当たり前だと思い込んでしまっているだけです。

それによって自分がまさか嫌われるだなんて思ってない訳です。

だって自分が正しいとしか思ってないのですから。

 

でも結局、欲しがるばかりじゃバランス取れないんですよね。

相手ありきの話なのですからね。

一緒にいる相手を疲れさせてません?

友人や恋人、家族や同僚、上司や後輩、人間関係に疲れてませんか?

 

 

ゴリ押ししたいだけの人間はつまらない

 

 

自信を持つのはいい事です。

ですが

果たして自分が登っているその山は本当に頂上なのでしょうか?

他にもいろんな山が周りに存在してませんか?

下ばかり見降ろしていませんか?

周りの高い山の存在に気付けてますか?

 

向上心のある人は常に自分の為になるものや、経験値になる素材を探し求めてます。

常に「新しい山」を追い求めてます。

 

つまり、別にそんな相手にわざわざこちらから「あぁしろこうしろ」と求める必要なんてないんです。

答えは自分で探し出して来てくれます。

その答えがどういったものであれ、今度はそれを一度受け入れてみる訳です。

そしてそれに対してまたお互いの考え方というものをすり合わせて行けばよいかと思います。

 

ハナっから「これはこうだ!」「こうじゃないといけない!」と頭ごなしのスタンスになるから揉める訳で。

そういうしょうもないプライド要らないです。邪魔だしめんどくさい。

 

人には求めない。

想像した答えとは違っても「そういう考え方もあるのか」と一度は受け止めてみましょう。

きっとそれによって自分の幅も広がります。

人間関係ってめんどくさいけど、それはそれで成長するチャンスです。

反面教師も含めて。

 

 

やっぱりね、どうしても分かり合えない時もありますよ。

育った環境も違うのですから。

価値観の相違はよくあります。

 

そこで「相手が悪い」「相手のせいだ」と他人の責任にして自分の成長を妨げてる人も多い事でしょう。

もしかしたら自分が未熟だっただけかもしれないのに。

そうやって少しずつオトナになってくものですよね。

 

でも別に全部が全部を分かり合う必要もないと思うんですよ。

考え方全てが同じだなんてそれこそ嘘くさい。

我慢して合わせてるんじゃないかとか、どっかでボロが出るんじゃないかと疑ってしまいます。

時が来れば理解できるっていう事も多いと思います。

まぁそれはいいとして…

 

 

もし分かり合えないからと言って自分の意見を押し付けるのはナンセンスです。

きっと答えは1つではないでしょう。

もしあなたの恋人や大切な人や家族に、あなたのワガママな思いをぶつけて

相手が“しゃーなし”でその思いを聞き入れたとしましょう。

それが何年も続いて、結局「あなたの思う理想の人間」が出来上がったとしましょう。

 

でもそれって結局…

言う事聞いてくれる人なら誰でもよかったんじゃないの?

 

別にその人である必要ってあったの?っていう話ですよね。

 

ただ、自分好みの相手に仕立て上げたかっただけじゃねーの?って話。

 

その人個人・個性を尊重した上で、敬意を払って、意見も言い合えるような関係。

それが本当の意味での理想なのではないでしょうか。

自分のワガママで相手を変えようだなんて何とおこがましい。

 

 

そんなこんなで、俺はめっきり人に求めない人間になってしまいました。

もちろん「こういう考えもあるよ」っていう提案はしますけどね。

あくまで提案です提案。

後はそれをどう受け止めるかはその人次第であり、自由なので。

 

ただでさえ人付き合いってめんどくさいです。

めんどくさい上に考え方の相違ってものが付いて回るので余計にややこしい。

でもいろんな人間を見るっていう事が一番の勉強だと感じます。

 

去る者は追わず、触らず、焦らず、深入りせず。

押し付けず、しゃしゃり出ず、目立たず、

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

…!?

 

 

ではまた近いうち!

 

アディオス!

 

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